あなたは人種差別主義者ですか?

と聞かれて、はいそうですと答える人は殆どいないでしょう。

良識のある人なら自分は人を人種で差別しないと言いますよね。

それでは、
「あなたは文化差別主義者ですか?」

と聞かれたらどうでしょうか?

…….

いや文化差別ってなんやねん

って感じだと思うのですが、僕はアメリカに留学してる時に、この文化差別を肌で感じる機会がたくさんありました。

あっちゃん
帰国した今でも、人は無意識のうちに文化差別らしきことをしているんだなと感じることが多々あるので、今回記事を書かせていただきました。よければ最後までお付き合いください。

そもそも人種差別とはなにか

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そもそも文化差別とは何なのか考える前に、人種差別とは何なんかをハッキリさせます。

人種差別の定義

人種差別とは

人種の相違を理由に加えられる,政治・経済・社会的差別。

ブリタニカ国際大百科事典

つまり、人種を理由として、生物学的に人を差別するのが人種差別です。

例えばナチスによるユダヤ人迫害は、人種の違いを大義名分に行われたのでこれにあたります。

ナチスはアーリア人(ゲルマン民族を含む)が、世界で最も民族的純度の高い優等種であるということを政府の信条とし、反対にユダヤ人や、その他の少数民族を劣等種であるとして迫害しました。

その背景にあるロジックは、人類の繁栄のためには優等種であるゲルマン民族の種としての存続が必須であり、それを汚しうる民族の繁殖を制限(駆逐)することが人類繁栄への道であるというものでした。

ナチスはユダヤ人を、アーリア人に寄生して弱らせる人種であると捉えて、差別、そして虐殺したのです。

アメリカ滞在中の春休みにワシントンDCへ旅行した時に、Holocaust Memorial Museumを訪れる機会があり、その際にナチス・ドイツによる迫害の実情を垣間見ることができました。

博物館内では凄惨極まる迫害を生々しく映し出した資料が多数展示してあり、あまりの残酷さに涙する訪問者もいました。

その中でも印象的だったのは、ナチスによって、目の色や頭蓋骨の大きさ、鼻の大きさなどを測定されているユダヤ人の写真です。

つまり身体的特徴から、人種を特定し、差別しようとしていたわけです。

あっちゃん
深刻な内容となりましたが、以上のように、人間を生物学的観点から区別し、優等種と劣等種に分けて差別するのが人種差別の定義となります。

文化差別とはなにか

culture
じゃあ、人種差別と比べて、文化差別とは一体何なのか?

僕が勝手に作った文化差別の定義を具体例を用いてお伝えしていきます。

あくまで個人の考えです。

文化差別の定義

私が思う文化差別の定義は以下のようになります。

文化の相違を理由に加えられる,政治・経済・社会的差別。

人種差別の定義の「人種」の部分を「文化」に変えただけなわけですが、これが私が思う文化差別の定義です。

人間社会にはその土地特有の文化が必ず存在しますよね。以下、文化の定義です。

社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。

大辞林

文化とは簡単に言えば、その社会の人達の行動様式と生活様式です。

つまり文化差別とは、

特定の社会が、蓄積してきた行動様式や生活様式である文化に優劣をつけて、その文化を構成する人たちを差別すること

となります。

例えば日本人がイギリス人に対して、「イギリスのご飯は不味いのでイギリスの食文化は日本食文化より劣っている」と言えば、それはイギリス人が蓄積してきた食文化を差別しています。(個人的にイギリス料理は好きです)

また、自分の意見をハッキリ言うことが良しとされるアメリカ人が、そうでない日本人をに対して、「自分の意見が言えない日本人は自分たちより劣っている」と言っても、それは差別になります。

中国の一部では犬を食べる文化がありますが、「犬を食べる中国の文化は野蛮だからやめろ」といえば、それもその地域の人達に対する文化差別になると思います。

つまり、生物学的に人種で優劣をつけるのではなく、社会学的な観点から文化で優劣をつけるのが文化差別です。

文化の啓蒙ならまだしも押し付けはだめな気がする

そもそも文化というものは変化するものです。

ある文化が存在する社会を構成する人たちのマジョリティが変化すれば、文化もそれに伴って徐々に変化していきます。

そこで大切なのは、選択肢の有無です。

もしの変化が何の選択肢もなしに強制的に行われたのであれば、それはその社会を構成する人たちの自由を奪うことになるでしょう。

例えばアメリカ大陸において、西洋人が原住民に対して、彼らの文化は劣っているからと差別して、有無を言わさずに自分たちの文化を押し付けたのであれば、それは原住民に対して文化選択の自由を与えていないため、文化の押しつけとなります。

また自国文化、また代替えとなりうる文化に対する理解も必要になります。

自分の文化や他国文化の好きなところと嫌いなところがはっきりしないと、文化の取捨選択の基準ができませんよね。

なので、西洋人が丁寧に自分たちの文化を原住民に対して説明し、メリット・デメリットを明らかにした上で、西洋文化を好む人だけ に西洋文化をの一員になってもらうような場合であれば、それは文化の押しつけではなく、原住民の選択から生じる自然な文化変容であると言えるでしょう。

なので押し付けではなく、自然な形で文化が変化する際には、必ず以下の3つが必要になります。

  1. 自国文化への理解
  2. 代替となる文化の理解
  3. 文化選択の自由

まぁ実際には自国文化や他国文化を完璧に理解することはできないし、文化の選択なんてものはミクロの意思形成から始まるので、定量的に白黒はっきりさせて見れるものではないんですけどね。

前提は優劣よりもユニークネス

ダラダラ支離滅裂なことを書きましたが、僕が言いたいことはこれです。

文化ってSuperiorityじゃなくてUniqueness

一部の人に取ってはアマゾンの山奥の民族の文化よりも、近代化した西洋文化のほうが魅力的に映るでしょう。

しかし、ものごとの良し悪しの価値観は人それぞれです。それら2つに優劣はつけられないと思います。

マサイ族の人たちは、文明の利器に囲まれながら、スーツを着て営業周りするよりも、牛の世話やライオン狩りの話をしている方が幸せでしょう。

なのでどこの地域の、どんな文化も素晴らしく、尊重されるべきものであると思います。

サウジアラビアの女性はヒジャブを着ないといけませんが、それを自分の意思で、自分のアイデンティティの一部として好んで着る人もいます。

イスラム教じゃない人にとっては、「女性差別だから廃止しろ!」という意見があるかもしれませんが、それを好き好んでやってる人も居るわけです。

なのでここで議論の要となるのは、「ヒジャブが女性差別かどうか」よりも、「ヒジャブを着るか着ないかの自由があるかないか」つまり「選択肢」があるかどうかなのです。

なので、ヒジャブを着るイスラム文化は劣悪だなんて考えはどうかと思います。

ちょっとまとまりのない記事になってしましましたが、以上文化差別についてでした。。

みんながお互いの文化を尊敬し会える世界になるといいですね〜

ABOUTこの記事をかいた人

Acchan

TOEIC300点から英語学習をスタート。開始から3ヶ月間でTOEIC850点を取得し、現在はTOEIC満点。米国ビジネススクールに一年間留学し、CSR・CSVの研究を行う。 TOEIC990点 →プロフィールを読む